SH!HO's DIARY

人は変化する世界を言葉によって把握する。 どんな状況においても、言葉を媒介に誰かと繋がっていたいと願う。

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[WORDS] - 2007.02.04 - 今となって

Mixiで日記ともいえないものをつらつら書いていたけど、本拠地をこっちにまた戻します。
理由は、今は伝えたいこととか、考えなくちゃいけないことでパンクしそうで、長くなるから、読みたい人にだけ読んでもらいたい、と思うから。あとは、昔に戻らなきゃ、っていう意思が強いのかもしれない。だからバックグラウンドも初期のに戻して、リスタートとしたいと思ってます。

2007年が始まって、1ヶ月くらいかな、久しぶりなことをいっぱいして、この学年が始まってからの6ヶ月間を振り返ることが出来たんだ。この半年間、あたしはわき目も振らず走ってきたわけで、色んな物事に明確な優先順位をつけてきたつもりでいる。でも同時に、色々なものを厳かにしてきたな、っていう感じが否めないんだ。

人生生きてきた中で、一番安定した半年間だったと断言できるんだけれど、つまり精神的に落ち着いていて、感情的、感傷的になるようなことはまったくと言っていいほどなかった半年だった。以前のあたしは全てを主観的にしか捕らえることがなかったのだけれど、この半年間は、もっと、自分を別の部分に追いやることができたような気がする。昔のあたしは感情に呑まれて行動するような部分が必ずあったと思うし、理性を維持できなかった。つまり、頭ではわかっていることでさえ、感情に忠実に生きてきていた。寝なくちゃいけないのに、好きな人とずっとメッセで話していたいとか、帰らなきゃいけないのに、もっと遊んでいたいとか、そういう欲望に打ち勝つことができなかった。逆にこの半年は、勉強をしなきゃいけないから家に帰ろう、明日に響くから今日は寝よう、という、他人にコントロールされることのない、自身の理性的な判断で生きてきた。

それと同時に、「どうでもいい」「なんでもいい」「これは重要じゃない」という切捨てを行ってきたんだ。そのことに最近改めて気付いた。つまり、学業を優先するということは、今まで読書や映画などのために割いてきた時間を勉強のために切り替えた、ということでもある。本当にこの半年間映画館には一切行かなかったし(去年のあたしからは考えられないことだよ)、小説もほぼ読まなかった。ストレッチも怠って、運動量も激減した。学校帰りに、ふらふら散歩をするようなこともしなかったし、とにかく、前年と比べて、あらゆる意味で学校中心の生活習慣に切り替えたといえる。

それがだめだった、とは思うけど、無駄だった、とは思わない。美術館には通いつめたし、ひとりでカフェに入ったりするようにもなった。今までのあたしのあり方を無意識の間に否定し、それと同時に新しい部分を開拓したのだと言えよう。それは16歳になって、権利だとかが増えたのも理由のうちだと思うし、大人の真似事が少しずつ様になるようになってきたんだと勝手に理解してる。

友達とも、交流を持ってきたし、社交辞令みたいなものとは出来る限り切り離して、もっとわがままな友情が保てたと思う。本当に一緒にいたいと思う人と、いたいだけいれた。Iと出会えたことは大きかったし、今まで、同じ価値観を共用する人間は日本人が多かったのだけれど、外国人で、自分とかなり近い考え方をする人間と何人か出会えたのもこの半年の間だったように思う。以前に比べて、「好かれたい」「嫌われたくない」というものをあまり考えなくなった。と、いうのは、この人は何が起きてもあたしのことを好きでいてくれるだろう、という自信を得ることが本当にできた。

今まで、いや、今もだけど、あたしは自分の思想、人生、現在、あたしが認めた人間、にすごく自信を持っているわけで、それはやっぱりゆるぎない。でも、最近、あたしより年上の人と話したり、話を聞いたりする機会がいきなり増えて、やっぱり焦りを感じてる。彼らは、あたしよりも確実に、確実に上のレベルにいて、突っ走ってるわけで、そんな彼らを見てあたしは、「あたしはこれでいいんだろうか」と思ってしまう。言ってみれば、あたし程度の人間は、日本に、ヨーロッパに、世界に、山ほどいる。あたしはなかなかの教育と教養、自信を持っているわけだけれど、この程度なら同世代でも、大勢いるだろう。帰国子女だからってなんだろう。ちょっと裕福だから何になるんだろう。

つまりは、賢くならなくちゃいけない、という話になる。とにかく、賢い(勉強や成績という意味ではないのかもしれない。もっと人間的な意味で。)見ると、あたしもその中に入りたい、という強い意志を感じる。とにかく、惹かれてしまうんだ、上にいる、もしくは上に向かおうとしている人間に。あたしは、今は多分、「平」かまぁよくても「平の上」程度の人間だろうが、あたしはこの程度で終わるつもりはない。ただ、上に行くという行為に伴うリスクは大きい。挫折があるだろうし、負けもいっぱいあると思う。あたしよりも、数段上のレベルにいるライバルだとかに出会ったときに、あたしは負けを経験しなくちゃいけないだろうし、トップに行くのは不可能だっていう挫折をいつか味わなくちゃいけなくもなるかもしれない。上に行くためには相当な覚悟が必要なんだ。それを、今はしっかり身につけないとだめなんだと思う。

だから賢くならなくちゃいけない。
まず、基本的に学業を頑張る必要があると思う。いい成績とかそういう問題じゃなくて、とりあえず、あたしはどこから勉強していいのかわからないから、学校が教えることを、うまく吸収する必要がある。あと、本を読んだり、映画を見たり、演劇、コンサート、美術館、ひとりでいる、音楽、とにかく、色んな感情を覚えて、人間性を広くしなくちゃならない。色んな人とわかりあうために、あとは自分を確立するために、美術を極めるべきだ。また、体を鍛えて、精神力だとか体力だとかをつけなくちゃ、多分この先壁にあたったら乗り越えられない。

あと最近強く思うのは、あたしは今高校最後の2年間の選択科目として、
美術 上
英語(外国語) 上
Information Technology for Global Society 上
数学 中
日本語(母国語) 下
物理 下
を選択しているわけなのだけれど、それは、あたしは、この科目を選択しているのではなくて、他の科目を学ぶ機会を失っているんだな、ということ。例えば、あたしは音楽、化学、歴史、地理、経済とかを、中途半端なレベルまでしかやってないんだよね。
ナチスの大量虐殺とフランス革命くらいしか知らないで、日本の歴史もなんも知らないで、あたしは歴史を学校から学ぶ機会を永遠に失ったわけだ。でも、それじゃだめなんだ。「世界平和」を口にしたいなら、歴史を理解しなくちゃいけない。でももう学校で学ぶ機会はあたしにはないから、独学で、本を読んだり、あたしの詳しくない学問を熟知する友達を作ったり、そういうことをしなくちゃいけない。生きていくうえではまったく困らないだろうが、上に行くためには、もっと広い人間になるためには、あたしの今持ちえてる歴史だとか経済だとか化学だとかの知識じゃ足りないんだよ、全然。

同時に、すごく不安になる。「あたしのやってることは本当に正しいのか?」みたいなくだらない問いを自分に投げかけたりする。つまり、上に行こうと努力して、それが何の意味を持っているのだろう?と考える。だって、出来る限りいい大学に行けばいいわけじゃない。それなりの大学に入って、まぁ頑張って就職活動とかして、友達と遊んだり飲みに行ったり、合コンしたり、そういう生活こそが幸せなんじゃないのか?って考えると、その通りだろうなーと思う。今まで築き上げたものが壊れるわけではないし、そんな、頑張って上を上をと目指したところで、あたしが知ってるような人間ばっかりがいるわけでもないし、もっとどろどろした、見たくもなかった世界と対面することになるかもしれない。それでも妥協するのはもう少し経ってからでも遅くないはず。とりえあえず今出来るのは、不安ながらも覚悟を決めて、とにかく上へ向かっていくことだけなんだろうな。


でもまぁーあたしにはもう妥協みたいなオプションはないんだよね。簡単に言っちゃうと、チャレンジャーでいたいんだ。上目指したいって思うし、賢い人に囲まれてみたいなーとか思うし、ちょっと無理かも?痛いかも?苦しいかも?くらいがしっくりくるんだ。


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